はじめに

高校物理は正しい。しかし、制約がある。大学物理はその制約を外す。

1この教科書について

本書は、高校物理を学んでいる生徒が「大学ではこの内容をどう扱うのか」を知るための教科書です。

高校物理は正しい物理学です。$v = v_0 + at$ は正しく、$F = ma$ も正しく、$E = \frac{1}{2}mv^2$ も正しい。しかし、高校の段階では微積分を本格的に使わないため、いくつかの制約が生じます。

  • 公式を覚えるが、なぜその形なのか説明されない
  • 「加速度一定」「力が一定」など、特殊な条件に限定される
  • 現象ごとに個別の公式を使い分ける必要がある
  • 「なぜ保存するのか」「なぜこの値なのか」に答えられない

大学の物理学は、微積分という道具を使うことで、これらの制約を解消します。覚える公式は減り、扱える問題は増え、「なぜ」への答えが得られるようになります。

2微積分は「難しくする道具」ではない

「微積分を使う物理は難しい」と感じる人は多いかもしれません。しかし実際には逆です。

高校では、等加速度運動だけで3つの公式を覚えます。力積の公式、仕事の公式、円運動の公式...と分野が広がるたびに公式が増えていきます。一方、大学では、これらがすべて「微分方程式を立てて積分する」という一つの手続きに統一されます。

高校と大学の比較
高校物理 大学物理
等加速度運動の3公式を暗記する $v = dx/dt$ を積分して3公式を導出する
加速度一定のときしか使えない 加速度が変化する場合も同じ方法で扱える
「なぜ $\frac{1}{2}at^2$ なのか」は説明されない $\frac{1}{2}$ が積分 $\int_0^t a\,dt'$ から自然に出ることが分かる
分野ごとに個別の公式がある すべて $m\ddot{x} = F$ の一つの方程式に帰着する

つまり、微積分は物理を「難しくする道具」ではなく、「覚えることを減らし、できることを増やす道具」です。本書を通じてそのことを実感していただけるはずです。

3本書で得られる6つのメリット

大学物理の視点を学ぶことで、高校物理の理解は次の6つの面で変わります。本書の全79記事は、すべてこのいずれか(多くは複数)に該当します。

カテゴリ 具体的に何が変わるか
A 導出できる 暗記していた公式を、少数の原理から自分で導けるようになる。例:運動エネルギーの公式を運動方程式の積分として導出できる
B 統一できる 場合分けや公式の使い分けが不要になり、同じ方法で対応できる。例:すべての力学問題が「微分方程式を解く」に帰着する
C 範囲が広がる 高校では「一定」「無視する」とされていた条件を外して、一般の状況を扱える。例:空気抵抗がある場合の運動を定量的に解ける
D 意味が分かる 「なぜそうなるか」の理由が分かり、公式の背後にある物理が見える。例:なぜ運動エネルギーは $\frac{1}{2}mv^2$ であって $\frac{1}{3}mv^2$ ではないのか
E 定量化できる 高校では定性的だった議論を数式で定量的に扱える。例:エントロピーを「乱雑さ」ではなく $dS = \delta Q/T$ として計算できる
F 見通しが立つ 問題を見たとき「何をすればいいか」の方針が統一的に立てられる。例:力が与えられたら微分方程式を立てる、の一択になる

全79記事のうち、最も多いのはD(意味が分かる)で51記事、次いでA(導出できる)が28記事です。大学物理を学ぶことは、暗記を理解に変え、公式の意味を掘り下げることだと言えます。

4本書の構成

本書は高校物理の教科書と同じ単元構成をとっています。全5編・22章・79記事で構成されています。

章数 記事数 概要
第I編 力学 6章 21記事 微分方程式による運動の記述
第II編 熱力学 3章 9記事 分子運動論からエントロピーへ
第III編 波動 3章 12記事 波動方程式という統一言語
第IV編 電磁気学 7章 26記事 場の理論とマクスウェル方程式
第V編 原子物理 3章 11記事 量子論への橋渡し

各記事は独立して読めるように設計されていますが、同じ編の記事は順に読むことで理解が深まります。

5対象読者

本書は以下のような読者を想定しています。

  • 高校物理を学習中(高1〜高3)の上位層 ─ 教科書の内容は一通り理解していて、より深い理解を求めている生徒
  • 「なぜ」を知りたい生徒 ─ 公式を暗記するだけでは物足りず、背景にある論理を知りたい生徒
  • 大学での学びに備えたい生徒 ─ 理系学部への進学を予定しており、大学物理の雰囲気を事前に知っておきたい生徒
前提知識について

本書では、微分・積分・微分方程式などの数学を使いますが、必要になった時点でその都度解説します。数学IIIの知識は前提としません。各記事の「数学の準備」セクションで、その記事に必要な数学ツールを最小限の範囲で紹介します。

6本書の立ち位置

本書は高校物理の教科書を置き換えるものではありません。高校物理の単元構成に沿って、各テーマを大学の視点で捉え直すものです。

高校の方法は間違いではありません。微積分を使わない範囲で物理を正しく教えるために、高校の教科書は優れた工夫をしています。本書は、その工夫の裏にある「本来の物理学」を見せることで、高校物理への理解をいっそう確かなものにします。

高校物理を否定するのではなく、高校物理が「なぜあの教え方をしているのか」を含めて理解できるようになること。それが本書の目標です。