高校物理では、コンプトン効果を「光子が電子に衝突して波長が長くなる現象」と定性的に学びます。
波長のずれがなぜ起こるか、どのくらいずれるかを定量的に議論することはありません。
大学物理では、光子に運動量 $p = h/\lambda$ を与え、
光子と電子の衝突をエネルギー保存則と運動量保存則で解析します。
その結果、散乱後の波長のずれ(コンプトンシフト)$\Delta\lambda = \dfrac{h}{m_e c}(1 - \cos\theta)$ が導出されます。
光電効果が「光子のエネルギー」を示す証拠であったのに対し、
コンプトン散乱は「光子の運動量」を示す決定的な証拠です。
この記事では、保存則を使って波長のずれを導出し、光の粒子性の理解を完成させます。
高校物理では、コンプトン効果を次のように学びます。
高校の範囲では、波長がどのくらい変化するか(定量的な議論)は扱いません。 「光子が電子にぶつかってエネルギーを分け与えるから波長が長くなる」という定性的な理解に留まります。
しかし、「波長がどれだけ変化するか」を計算できなければ、 実験データと理論を比較して検証することはできません。 大学物理では、この定量的な計算を行います。
大学物理では、光子と電子の衝突を力学の問題として正面から解きます。 そのために、光子にエネルギーだけでなく運動量を与えます。
光子の運動量の概念を理解できる。 質量ゼロの粒子がなぜ運動量を持てるのか、特殊相対論のエネルギー-運動量関係から説明します。
コンプトンシフトを導出できる。 エネルギー保存則と運動量保存則(2成分)の連立方程式から、$\Delta\lambda = \dfrac{h}{m_e c}(1 - \cos\theta)$ を自分で導けるようになります。
光の粒子性の証拠を完成させる。 光電効果がエネルギーの量子化を示し、コンプトン散乱が運動量の量子化を示す。この2つで光子の力学的性質が確立されます。
光子の運動量を導くには、特殊相対論のエネルギー-運動量関係を使います。
相対論では、質量 $m$、運動量 $p$ の粒子のエネルギーは次の式で与えられます。
$$E^2 = (pc)^2 + (mc^2)^2$$
光子は質量ゼロ($m = 0$)の粒子なので:
$$E^2 = (pc)^2 \quad \Longrightarrow \quad E = pc$$
$$p = \frac{E}{c} = \frac{h\nu}{c} = \frac{h}{\lambda}$$
高校物理では「運動量 = 質量 $\times$ 速度」($p = mv$)と定義しますが、 この定義だと質量ゼロの光子の運動量はゼロになり、矛盾します。 大学物理では相対論的な定義を使うことで、質量ゼロの粒子にも運動量を自然に与えることができます。
誤解:「$p = mv$ で $m = 0$ なら $p = 0$ のはず」
正しい理解:$p = mv$ はニュートン力学の近似式であり、光速で運動する粒子には適用できません。 正しい関係式は $E^2 = (pc)^2 + (mc^2)^2$ です。 $m = 0$ でも $E \neq 0$ であれば $p = E/c \neq 0$ となり、運動量はゼロではありません。
コンプトン散乱を具体的に解析しましょう。 波長 $\lambda$ の光子が、静止している電子(質量 $m_e$)に衝突する場合を考えます。
衝突後、光子は角度 $\theta$ 方向に波長 $\lambda'$ で散乱され、電子は角度 $\phi$ 方向に運動量 $p_e$ で反跳されるとします。
衝突前後のエネルギーの合計は等しいので:
$$\frac{hc}{\lambda} + m_e c^2 = \frac{hc}{\lambda'} + \sqrt{(p_e c)^2 + (m_e c^2)^2}$$
入射光子の進行方向を $x$ 軸とします。
$$\frac{h}{\lambda} = \frac{h}{\lambda'}\cos\theta + p_e \cos\phi$$
$$0 = \frac{h}{\lambda'}\sin\theta - p_e \sin\phi$$
これで3つの方程式に3つの未知数($\lambda'$, $p_e$, $\phi$)がありますが、 実験で測定しやすいのは散乱角 $\theta$ と波長の変化 $\Delta\lambda = \lambda' - \lambda$ です。 次のセクションで、$p_e$ と $\phi$ を消去して $\Delta\lambda$ を $\theta$ だけで表す式を導きます。
保存則の3式から $p_e$ と $\phi$ を消去し、$\Delta\lambda$ を求めましょう。
Step 1:運動量保存の2式から $\phi$ を消去します。
$x$ 成分より:$p_e \cos\phi = \dfrac{h}{\lambda} - \dfrac{h}{\lambda'}\cos\theta$ … (i)
$y$ 成分より:$p_e \sin\phi = \dfrac{h}{\lambda'}\sin\theta$ … (ii)
(i)$^2$ + (ii)$^2$ を計算すると($\cos^2\phi + \sin^2\phi = 1$ を利用):
$$p_e^2 = \frac{h^2}{\lambda^2} - \frac{2h^2}{\lambda\lambda'}\cos\theta + \frac{h^2}{\lambda'^2} \quad \cdots (*)$$
Step 2:エネルギー保存から $p_e^2$ を別の形で表します。
エネルギー保存を整理すると:
$$\frac{hc}{\lambda} - \frac{hc}{\lambda'} + m_e c^2 = \sqrt{p_e^2 c^2 + m_e^2 c^4}$$
両辺を2乗して整理すると:
$$p_e^2 = \frac{h^2}{\lambda^2} - \frac{2h^2}{\lambda\lambda'} + \frac{h^2}{\lambda'^2} + \frac{2m_e c \cdot h}{\lambda} - \frac{2m_e c \cdot h}{\lambda'} \quad \cdots (**)$$
Step 3:$(*)$ と $(**)$ を等置し、共通項を消去します。
$$-\frac{2h^2}{\lambda\lambda'}\cos\theta = -\frac{2h^2}{\lambda\lambda'} + \frac{2m_e ch}{\lambda} - \frac{2m_e ch}{\lambda'}$$
整理すると:
$$\frac{2h^2}{\lambda\lambda'}(1 - \cos\theta) = 2m_e ch\left(\frac{1}{\lambda} - \frac{1}{\lambda'}\right) = 2m_e ch \cdot \frac{\lambda' - \lambda}{\lambda\lambda'}$$
両辺を $\dfrac{2h}{\lambda\lambda'}$ で割ると:
$$h(1 - \cos\theta) = m_e c(\lambda' - \lambda)$$
$$\boxed{\Delta\lambda = \lambda' - \lambda = \frac{h}{m_e c}(1 - \cos\theta)}$$
$$\Delta\lambda = \frac{h}{m_e c}(1 - \cos\theta)$$
この公式から重要な性質が読み取れます。
コンプトンシフトの公式が示すのは、光子と電子の衝突が、古典力学のボールの衝突とまったく同じ保存則に従うということです。
光子はエネルギーだけでなく運動量も持ち、衝突の際にエネルギーと運動量の両方を保存しながら交換します。 波長のずれは、この運動量の交換の結果として定量的に予測でき、実験と完全に一致します。
コンプトン波長 $h/(m_e c) \approx 2.4 \times 10^{-12}$ m はX線の波長($10^{-11}$ ~ $10^{-10}$ m)と同程度です。 可視光の波長($\sim 5 \times 10^{-7}$ m)に比べるとコンプトンシフト $\Delta\lambda$ は極めて小さく、相対的な変化が無視できます。 そのため、コンプトン散乱の実験にはX線が使われます。
コンプトン散乱(1923年、アーサー・コンプトン)の実験的検証は、 光の粒子性を確立する上で決定的な役割を果たしました。
| 実験 | 示されたこと | 使われた光子の性質 |
|---|---|---|
| 光電効果(1905年) | 光のエネルギーが量子化されている | $E = h\nu$ |
| コンプトン散乱(1923年) | 光が運動量を持つ粒子として振る舞う | $p = h/\lambda$ |
光電効果はエネルギーの量子化を示しましたが、光子が「粒子として衝突する」ことの直接的な証拠としては不十分でした。 コンプトン散乱では、光子と電子の衝突がエネルギー保存則と運動量保存則を同時に満たすことが実験で確認されました。 これにより、光子が力学的な意味で「粒子」であることが決定的に証明されました。
コンプトン散乱は光の粒子性の完成であり、波動と粒子の二重性へと展開します。
Q1. 波長 $\lambda$ の光子の運動量を式で表してください。
Q2. コンプトン散乱で波長のずれ $\Delta\lambda$ が最大になるのは、散乱角 $\theta$ がいくらのときですか。
Q3. コンプトン波長の値はおよそいくらですか。
Q4. コンプトン散乱の解析に使われる2つの保存則は何ですか。
コンプトン散乱の公式を使った計算と、光子の運動量の理解を問う問題です。
波長 $\lambda = 0.10$ nm のX線光子について、以下を求めよ。$h = 6.6 \times 10^{-34}$ J$\cdot$s、$c = 3.0 \times 10^8$ m/s とする。
(1) 光子のエネルギーを求めよ。
(2) 光子の運動量を求めよ。
(1) $E = \dfrac{hc}{\lambda} = \dfrac{6.6 \times 10^{-34} \times 3.0 \times 10^{8}}{0.10 \times 10^{-9}} = 2.0 \times 10^{-15}$ J
(2) $p = \dfrac{h}{\lambda} = \dfrac{6.6 \times 10^{-34}}{0.10 \times 10^{-9}} = 6.6 \times 10^{-24}$ kg$\cdot$m/s
(1) $E = hc/\lambda$ に代入します。$\lambda$ を m 単位に変換($0.10$ nm $= 0.10 \times 10^{-9}$ m)することに注意します。
(2) $p = h/\lambda$ に代入します。$p = E/c$ で計算しても同じ結果が得られます。
波長 $\lambda = 0.071$ nm のX線を静止電子に照射し、散乱角 $\theta = 90°$ で散乱されたX線を観測する。$h = 6.6 \times 10^{-34}$ J$\cdot$s、$m_e = 9.1 \times 10^{-31}$ kg、$c = 3.0 \times 10^8$ m/s とする。
(1) 波長のずれ $\Delta\lambda$ を求めよ。
(2) 散乱後のX線の波長 $\lambda'$ を求めよ。
(3) 反跳電子が得た運動エネルギーを求めよ。
(1) $\Delta\lambda = \dfrac{h}{m_e c}(1 - \cos 90°) = \dfrac{6.6 \times 10^{-34}}{9.1 \times 10^{-31} \times 3.0 \times 10^8} \times 1 = 2.4 \times 10^{-12}$ m $= 0.0024$ nm
(2) $\lambda' = \lambda + \Delta\lambda = 0.071 + 0.0024 = 0.0734$ nm
(3) $K_e = \dfrac{hc}{\lambda} - \dfrac{hc}{\lambda'} = hc\left(\dfrac{1}{\lambda} - \dfrac{1}{\lambda'}\right) = 6.6 \times 10^{-34} \times 3.0 \times 10^8 \times \left(\dfrac{1}{0.071 \times 10^{-9}} - \dfrac{1}{0.0734 \times 10^{-9}}\right) = 9.0 \times 10^{-17}$ J
(1) コンプトンシフトの公式に $\theta = 90°$ を代入します。$\cos 90° = 0$ なので $1 - \cos\theta = 1$ となり、$\Delta\lambda$ はコンプトン波長そのものに等しくなります。
(2) $\lambda' = \lambda + \Delta\lambda$ で求めます。
(3) エネルギー保存より、反跳電子の運動エネルギーは入射光子と散乱光子のエネルギー差に等しくなります。
コンプトン散乱で散乱角 $\theta = 180°$(後方散乱)の場合を考える。
(1) 後方散乱の場合の波長のずれ $\Delta\lambda$ を求めよ。
(2) 入射光子の波長がコンプトン波長に等しい($\lambda = h/(m_e c)$)場合、散乱後の光子のエネルギーは入射光子のエネルギーの何倍になるか。
(3) 古典的なトムソン散乱(電磁波が電子を振動させ、同じ振動数で再放射される散乱)では波長は変化しない。コンプトン散乱と古典的なトムソン散乱の結果が異なる原因を、光の粒子性の観点から説明せよ。
(1) $\Delta\lambda = \dfrac{h}{m_e c}(1 - \cos 180°) = \dfrac{h}{m_e c} \times 2 = \dfrac{2h}{m_e c} = 4.86 \times 10^{-12}$ m
(2) $\lambda' = \lambda + \Delta\lambda = \dfrac{h}{m_e c} + \dfrac{2h}{m_e c} = \dfrac{3h}{m_e c}$
$E' = \dfrac{hc}{\lambda'} = \dfrac{hc}{\frac{3h}{m_e c}} = \dfrac{m_e c^2}{3}$
$E = \dfrac{hc}{\lambda} = \dfrac{hc}{\frac{h}{m_e c}} = m_e c^2$
$\dfrac{E'}{E} = \dfrac{1}{3}$
(3) 古典論では光を連続的な波として扱うため、散乱の際にエネルギーの一部が電子に「移る」という過程を記述できず、波長の変化は予測されない。量子論では光を個々の粒子(光子)として扱い、光子と電子の衝突をエネルギー保存則と運動量保存則で解析する。衝突において光子はエネルギーと運動量の一部を電子に与えるため、散乱後の光子のエネルギーが減少し、波長が長くなる。
(1) $\cos 180° = -1$ を代入します。$1 - (-1) = 2$ なので $\Delta\lambda = 2h/(m_e c)$。
(2) $\lambda = h/(m_e c)$ のとき、$\lambda' = 3h/(m_e c)$ となり波長が3倍に。エネルギーは波長に反比例するので $1/3$ 倍。
(3) 古典論と量子論の散乱の描像の違いを明確に述べることが求められます。